砥部焼とは?
四国・愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器です。
ぽってりとやや厚手の白磁に「呉須(ごす)」と呼ばれるコバルトを主成分とした、透き通った薄い藍色の手描きが特徴で、食器や花器が多く作られています。
この砥部焼は愛媛県の指定無形文化財に指定されています。
使い勝手が良く、値段が手ごろで丈夫なため、日常的な作品として人気があります。
砥部焼の陶器市
砥部焼を作る窯元から、感謝価格で即売される砥部焼まつり。
春と秋に、第1会場『砥部町陶街道ゆとり公園』と、第2会場『砥部焼伝統産業会館』と『砥部町商工会館』にて開催され、毎年10万人を超える来場者でにぎわっています。
即売会の他に、ろくろや絵付けの体験、ご当地キャラクターのイベントや撮影会、陶器のオークション、俳句などが行われています。
また、大抽選会で豪華賞品がもらえるチャンスがあり、イベント期間限定のレストランやカフェもオープンして食事も楽しむことができます。
砥部焼の歴史とは?
江戸時代中期、藩の財政を立て直すために、大洲藩は砥石くずを使った磁器づくりを杉野丈助に命じました。
数えきれない試行錯誤を重ね、陶工たちが愛想をつかして故郷に帰る中、杉野丈助は財産を投げうって努力した2年半後の1776年に、今の砥部焼の始まりと言える白地に藍色の焼き物作りに成功しました。
明治時代に入り、先進地の技術のおかげで量産が可能になり、唐津船で全国へ販路を広げ、中国などにも「伊予ボール」の名で輸出されてます。
明治26年にシカゴ博覧会で1等を受賞し、砥部焼の名が世界に知られていきました。
大正時代に入ると砥部焼の海外輸出比率が7割を超えるようになりました。
しかし大正末期から昭和にかけての不況により生産・販売が落ち込み、また、先進地域の焼き物や同晩印刷などの新しい技術に押されていきます。
先進技術の波に取り残されたかに見えましたが、戦後になり改めて砥部焼が持つ手作りの良さが評価されるようになります。
1976年には国の伝統工芸品に指定されました。
また、女性や若手陶工のモダンな作品も増え、日常使いの器としてますます人気が出ています。
注目の作家さん
酒井芳美(雅号・芳人、砥部町五本松)
1931年生まれ。
祖父酒井如雲氏、松田哲山氏(現代の名工、哲山窯)に師事。
1977年 砥部焼伝統工芸士認定(ろくろ成形)
1990年 愛媛県知事表彰・優秀技能者
2000年 労働大臣表彰・現代の名工
2004年 黄綬褒章 受章
2005年 愛媛県無形文化財保持者認定
2010年 旭日双光章受章
若手砥部焼職人が中心の陶和会を設立。
愛媛陶芸協会会長を務める。
技術力の向上や技能の継承や、砥部焼を全国に普及させるなど尽力しています。
竹西辰人
1964年生まれ。
松山南高デザイン科卒業後、父が窯元であった圭仙窯にて陶芸を学び、2001年より引き継いでヨシュア工房と改名。
旧約聖書のヨシュア記から「伝統を踏まえつつ、新しい地(作品)を生み出す」という思いで名付けられています。
エアブラシでグラデーションを付けながら採食する独自の技法で、瀬戸の海・伊予の空・深海の青をイメージさせる『ヨシュアブルー』をはじめ、淡い色のグラデーション『あやいろ』など、一度見たら忘れられない個性的な作品が人気です。
砥部焼から新たに生まれた『白青』というブランドとのコラボレーション作品も人気です。
砥部焼の特徴
独特の温かく落ち着いた白磁
真っ白でもなく、黄ばんでもいない、象牙色のあたたかみのある白磁で、冷たさを感じさせない素地です。
藍色の顔料「呉須」で描かれた手描きの絵付け
大胆な筆使いの文様
堅く丈夫な材質と、味わいのある形
夫婦喧嘩で投げつけても割れないという話から、別名喧嘩器とも呼ばれています。
焼き物の産地としての砥部の特徴
焼き物のモニュメントが町中に並び、焼き物の町らしさがあふれています。
陶板の道と呼ばれる遊歩道には、砥部焼アートで変身した道を楽しめます。
砥部焼のかけらをはめ込んで作られた壁画があったり、壁にそのまま埋め込んだ作品や足元にも埋め込まれたものもあるので、周りを見回したり足元を見たりと見ごたえ満点です。
遊歩道の先にはたくさんの陶板が飾られた陶祖ヶ丘という公園で休憩ができます。
さらに、砥部の里めぐりコース・砥部焼の里めぐりコースの2つのサイクリングコースでは、砥部焼伝統産業会館をはじめ、30分ほどでアートな空気をたっぷりと楽しむことができます。
まとめ
砥部焼について知っておきたい基礎知識などをご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
あたたかみがあり、丈夫で飽きのこない砥部焼は、ギフトにも喜ばれます。
お買い得で盛りだくさんの内容の陶器市や、呉須ブルーの街並みをぜひ見に行ってみてはいかがでしょうか。